学部ゼミナールの紹介
 
学部・ゼミナール(演習) 

2022年度に、東京経済大学での演習がスタートしました。これまでどおり、社会学を軸に現代社会を探る視点・理論・方法を学び、それを具体的なテーマに基づくプロジェクト(フィールドワーク)でも活かしていくことをめざしていきます。共同の成果を公表し、社会との接点を大切にしていきたいと思います。


学部ゼミナール関連文書
論文執筆要領
卒業論文の形式



参考:これまでの各大学におけるゼミ・プロジェクト報告書
【 東京経済大学 コミュニケーション学部 町村ゼミナール 】
『コロナ禍で変わりゆく日本社会―無印都市の今後の可能性―』 2023年2月


【 一橋大学 社会学部 町村ゼミナール 】
『エスニック・ネットワークの可能性―人をつなぐ民族の知恵―』 1993年7月
『グローバル・コミュニティの可能性―僕らは結局、繋がっている―』 1996年8月
『“隣都心”あらかわ 10枚のスケッチ』 1997年9月
『「新宿」誕生―街と人のコラージュ―』 1998年9月
『博覧会をめぐる「地元」の社会学―2005年愛知万博と瀬戸地域開発―』 1999年9月
『埼玉からさいたまへ―手探りの行方― 』 2000年10月
『愛知万博 海図のない航海―11のコンパス―』 2002年12月
『都市における死―隠される不安―』 2002年12月
『ゴールデン・ターミナル−居場所としての漂流都市 新宿・渋谷』 2003年12月
『ニュートーキョー・パラダイス―都市再生の地下茎―』 2004年12月(神田・品川青物横丁地区調査)
『愛知万博と向き合う―市民をめぐる 参加・媒体・交流―』 2005年12月
『路上の空論――ストリートの<現象学>――』 2006年3月
『立体交差――新宿をめぐる場所性・つながり・運動――』 2007年11月
『重なる景色、重なる時間――色川と移住――』 2009年3月・2010年2月(増補版)(和歌山県那智勝浦町色川地区調査)
『式年遷巡――三宅島“再生”の営み』 2010年7月
『街念――12通りの空間浴――』 2011年7月(江東区砂町銀座商店街・品川区武蔵小山商店街報告書)
『時空間のディスロケーション』 2012年8月(淡路市富島地区調査報告書)
『立ちはだかる壁、越えられた壁、揺れる壁――12色で描く広島刑務所――』 2013年7月
『多「貌」をきわめる――門のうちからみる景色――』 2014年7月(横浜中華街調査報告集)
『福雑さを生きる――基地のあるまち福生からの報告――』 2015年3月
『つなぐ島・高島――炭鉱といま、人と人』 2016年3月(長崎県高島調査報告書)
『金沢玉条――伝統都市に生きる』 2017年3月
『原点と発展――札幌の都市形成とコミュニティ』 2018年3月
『マグネットワーク――惹き寄せ、つながるまち山梨』 2019年3月
『明治維新のまちを令和に歩く――魅力をどんどん再発見』 2020年3月(山口県萩市調査報告書)
『変わる街並み 変わらない精神――受け継がれる東横線イメージ』2021年11月




 【一橋大学図書館、国立国会図書館、関連する地元の主要公立図書館などに収蔵されていますので、ご覧下さい】

【 筑波大学社会学類ゼミ・調査実習 】
『東京からTOKYOへ―変貌する地域社会―』1990年
『「モノ」がたりの始め―当世消費社会事情―』1991年

【 国際基督教大学 社会調査実習 】
『郷愁の彼方に―変貌する三田小山町・麻布十番―』1990年
【 成蹊大学文学部 講義・地域社会論 (吉祥寺商店街調査報告シリーズ)
『ハモニカ通信―街を生かし続ける人々―』2002年
『歩いて見つけた「みち」の味――街を生かし続ける人々――』2003年


参考:過去に提出された卒業論文から

<2022年度>
『消費社会とEC――潜在的ニーズを掘り起こし欲望を拡大させるEC――』
『国立駅前広場のあるべき姿――歴史、風土、街の声と、旧国立駅舎・駅前広場整備過程から考える
『個別指導塾講師の仕事に関する考察――なぜやりがいがあるのか――』
『現代消費社会におけるヴィーガンという生き方――古くて新しい概念の、浸透への道筋――』
『大学スポーツにおける地域貢献の可能性――UNIVAS設立と体育会活動の実態に注目して――』
『新型コロナウイルス感染拡大への人々の反応に関する一考察』
『「マイナースポーツ」としてのアメリカンフットボール――これからの日本での「立ち位置」を再考する――』
『郊外はどこへ行くのか――郊外の現在と、総郊外化する都市空間のゆくえ
198090年代日本バイオ産業における『語り』の交錯――ヒト・ゲノム計画をめぐって』
<2020年度>
『社交ダンスの異質な世界――日本における社交ダンスへのバイアス――』
『甲子園はなぜ人々を惹きつけるのか――高校野球を通じて人々が感動する仕組み――』
片手間のコミュニケーション――オンライン飲み会の流行に見る、新時代の飲み会との付き合い方――』
『日本の学校教育における「化粧」の変遷』

<2019年度>
「回る」着物はホンモノになるか―階層と慣習を超えた「想い」を探る―
子どもが来ない「つり舟子ども食堂」を―国立の子ども食堂を事例に、ボランタリーな活動が持続することの有益性について考察する―
来る茨城と住む茨城―空港から探るこの土地の可能性―
都市河川の変貌がもたらしたもの―地元「真間川」研究から読み解く―
「参加者」の意識が向く先―ライブキッズ文化に見える、フェスの現在地―
テレワークが社会と人々にもたらすもの―テレワークによって変わる社会―
情報が移動の意志にもたらすもの―インドネシアの移民労働者を対象に
<2018年度>
多文化を支え、多文化に息づく――横浜市立図書館と多文化共生をめぐって――
海外留学する大学生の属性――社会経済的地位と「トランスナショナリズム」に着目して――
〇〇なまち、高田馬場――学生街から「アジアのまち」へ――
鉄道社会の「亡骸」――気仙沼線・大船渡線BRTから地方の想いを考える――
問われるニセコの現在――地域の人々の声を聞く――
社会秩序についての構造−機能主義的な理論の概念図式を改訂する
「おばテニ」はなぜ選ばれ続けるのか――コミュニティスポーツにおけるテニスの優位性――
刹那的紐帯(インスタント・タイ)――「視える」趣味が繋ぐ社会空間――
スポンジ化した郊外住宅地の「孔」を覗く――千葉県我孫子市若松地区の空き家実態調査――
地域に生きる遊園地――としまえんと周辺地域の共生――
商店街はなぜ必要なのか――砂町銀座の歩みとこれから

<2017年度>
新郊外と旧郊外の狭間で――21世紀型郊外開発を生きる流山市のいま――
「植民地」香港の葛藤――ネオンサインへの関心とその背景にあるもの――
朝鮮学校のいまを描く――「開放化」とその先へ――
キッチンカーワーカーという生き方――東京の「スキマ」で追い求める自由と自分らしさ――
タワーマンションと町内会――日暮里駅前再開発地域における新規住民の地域参加――
お墓メディア論
意識高い系のあなた、意識低い系のわたし――SNS時代に蔓延するラベリングの正体――
消防団員の進む道――福山市消防団を事例に団員の原動力を探る
「破壊」か「共生」か、シェアリングエコノミー――社会的交換理論を援用して

<2016年度>
「謎解き」イベントと地域活性化―日常から非日常、非日常から日常へ
運動の記憶と逗子のいま ―米軍家族住宅に関する調査から見えるもの―
求められ続ける別の一面 ―サクラセブンズからみるメディアの問題点―
ハーモニカ横丁という幻想 ―すべてをのみこむ空間
地方百貨店の表象と記憶 ―花巻・マルカン百貨店、語りにみる閉店と存続の意味
共生から対話へ ―富士市「外国人労働者倍増」の未来シナリオ―
地域づくりにおける「つながり」の再構築 〜岡山県西粟倉村を事例に〜

<2015年度>





<2014年度>
台湾ひまわり学生運動から見る社会運動の可能性
犯罪報道の匿名化にむけて
金澤町家という「住居」をめぐる物語

黄金町のまちづくりに見る新しい公共性――黄金町はなぜ魂を持っているのか――
タブラ・ラサを装う――神宮外苑 「神聖」と「開放」の磁力――
帰国子女の就職おける「特権」に関する考察

「リアル」は生き残るのか――アニメファン活動と日常生活の分析――
谷中をめぐる「地域性」の創造と発展――「猫町」化する谷中――
乗り換え空間の行き先をたずねる――秋津駅〜新秋津駅間の乗換経路に広がる駅前商店街の研究――
「生きづらさ」を語るということ
ジャンルをまなざす――へヴィメタルに見るジャンルのダイナミクス――
職住近接空間としての都心の課題――職住の新たな「あいだ」空間構築のための試論


<2013年度>
愛国のジレンマ――中国の愛国主義教育を通して考える愛国心
「広域高専門組織による災害派遣初動――救助活動と災害ロジスティックス――
隔世のブラックボックスを覗く――鎌倉円覚寺の組織実態に迫る――
吹奏楽の歴史的形成過程――「制度」と「文化が社会に根付く」ことをめぐって――
人差し指が見る夢――土門拳『写真批評』に見る社会構成のあり方――
「勝利に貢献するマネージャー」は可能か
3・11の「どうでもよさ」を抱いて生きる苦しみ――物語概念の整理とその展望――
J.L.マッキーのメタ倫理学説は成功しているか?――洗練された主観主義的メタ倫理学説としてのマッキー説の可能性
転勤族となるということ
原発が与えた町の姿――御前崎市とそこに住む人々へ及ぼした影響――
書店希望論〜街に溶け込む知の拠点〜
個人情報の受動性と向き合う――流通と保護の狭間で――

「最大公約数」としてのユーゴスラヴィア〜連邦解体の要因に関する一考察〜

<2012年度>
養護をつかさどる男性たち――ピンクカラー・ジョブとしての養護教諭――
宿り木の街――和歌山県岩出市の成長と近郊間競争――
ミスコン・トラブル
PCBと暮らすこと――PCB処理施設から眺めた室蘭――
グリーンマトリックスシステムの価値検証――港北ニュータウンを形づくるもの その先に――
やがて日常に至る東京――現代における上京とその展望――
徒歩依存型都市の構造分析――なぜヴェネツィアは車なしで都市を維持できるか――
変わらぬままあり続けた上石神井が変化する時――西武新宿線上石神井駅と外環道・外環の2――
それ自体のために望ましいもの――ハンナ・アレント『人間の条件』における脱目的論――
「古都」を生きる――鎌倉世界遺産登録をめぐって――


<2011年度>
貫いた放射線の行方――水俣病と福島第一原子力発電所事故の比較――
日韓相互交流の齟齬――『韓流』と『嫌韓』/『日流』と『反日』――
連帯の不思議――「がんばろう日本!」の謎――
アートの化学反応――アートを支え、育む土壌をつくる――
家族をつなぎとめる間取り――ひとつ屋根の下に住むとは――
オタクは本当に死んでしまったのか――神性の回復に向けて――
バーナードと組織の存立構造論――組織生成と主体性の「逆転」と「統御」――
わがまちの行く末――産廃を抱えたまちおこしのあり方――
ホームタウンとは何か――東京でもない、神奈川でもない街・町田の協働――
知識人と社会運動――アラン・トゥレーヌの社会学的介入をモデルに――
多摩の青空シナリオ2050――21世紀日本の理想郊外を考える――
パンダ色の都市・上野――「らしさ」の一考察――


<2010年度>
アメリカンをつむぐ家――東京都福生市「米軍ハウス」の今昔――
ハルツ・ショック――ドイツ・労働市場改革にみる福祉国家の今昔――
守りたがる大人たち――レジリエンスを失ったのはだれか――
日本ナショナリズムの後夜――有用性を喪失した母国との付き合い方――
成田空港と地域の50年史――国家の玄関から、地域の可能性を問う――
モノが都市化する社会――物流インターネットがもたらす社会の未来像――
抵抗する生活圏――グローバリゼーション時代における「素人の乱」の活動/運動――
デュルケーム的社会的連帯論――社会関係資本概念の一つの源流として――
「生活の足」復権への模索――茨城県の3地域にみる地方鉄道存続問題の解決過程――
「自立した個人の行く末」――おひとり様と現代家族の考察――
まちのねずみといなかのねずみはどちらが幸せか


<2009年度>
「非日常」認識文脈理論とこへび隊――大地の芸術祭におけるグラウンディッド・セオリー
大潟村からたどる『米作り』の足跡――村をつくった人・法・たたかい――
太鼓は「見えないバリア」とどう向き合うか――知的障害者・発達障害者による和太鼓団体の実践と課題――
ギャルママという「問題」
主体的な女子マネージャー物語――女子マネージャーのアイデンティティと多様なスポーツ文化――
葛西沖にできた町――葛西沖開発土地区画整理事業の再考――
<駅−空間>の広がりと隔絶――駅は場所になれるのか――
施設という場の行方――滝乃川学園を事例に――
再編される秋葉原の<空間>と<場所>――駅前再開発をめぐって――


<2008年度>
健康、再読――身体へのまなざしの解釈学
「韓国の国際結婚」――再生産されるミョヌリとコリアンドリーム――
近代音楽領域の形成過程――明治から戦前までの日本における音楽の文化変容と制度化――


<2007年度>
占領軍労務調達の変遷
TOKYO OPEN-SCAPE トーキョー・オープン・スケープ
私は出会いをどのように記述できるか
野球がバットを捨てた日――キャッチボールが歩んだ日本近現代社会史
更新文化の中の地域――空き家が語る郊外地域社会
Democracy in Twilight
健康のストラテジー――フィットネスクラブは私たちを救えるか
「対応」の中の近代化遺産――足尾銅山跡の世界遺産登録運動を例に――
全島避難――消防団はまちを救えるか――
アートはまちを救うか?――サンフランシスコ・ミッション地区の壁画にみる都市と文化――
東京は変わるか――人口減少時代のオリンピック――
ゴールデン街クロニクル


<2006年度>
造景空間とその隙間――葛飾区地区別構想と再開発――
潜行する文化ナショナリズム――土産品と観光化による日本イメージの再生産――
江東区で水辺の空間を考える――使いながら守る河川の方向性――
三代目の時代――商家の移り変わりから見た戦後日本――
学園の原野――九大移転に伴う地域社会の変容――
外勤警察――日本的警察システムの社会学的考察――
地域の中の鳥獣被害――群馬県下仁田町を事例として――
紫煙の行方――たばこ問題についての一考察――
「鬼来迎」の物語――ローカルなものからナショナルなものへ――


<2005年度>
新しい公共性としての協働――アーレントとハーバーマスの視座を借りて――
産業遺産をめぐる地域づくり――<鉱山都市>足尾――
インド・被差別民の語り――<語り>の向かう先と戦略の獲得――
国民国家以後――コソボ、アフガン、イラク戦争の国際法的検討――
「余所者」を取り巻く地域社会のステイクホルダー――日系ブラジル人らが後発的にかつ小規模に集住する地域におけるステイクホルダーたちの行為選択の有り様――


<2004年度>
情報社会と日本の地域社会――公共空間解体のメカニズムとその再構築の可能性
心理主義化する社会――祭られる「心」、その向こう側――
「都市計画」を取り戻す――品川シーサイドフォレストに見る「都市計画」なき都市の生産――
過疎農村に定住する――脊振村「100円宅地事業」から考える「適疎」――
路地を闊歩する住人――林芙美子と落合――
Environmental Bubble――ガイジン社会を囲む薄い膜、東京におけるExpatriate Communityの研究
「変革期」の行動原理を求めて――ルネサンスと『君主論』から見る現代日本――
本格焼酎に「酔う」人々――本格焼酎ブーム研究――
ブルデュー『資本主義のハビトゥス』における理論の素描――ひとつの覚え書――


<2003年度>
「城」建設のメカニズム――天守閣による「統合」と「動員」の歴史――
専門学校の研究――多様な生き方を可能にする職業教育――
ニュータウンの可能性――唯一無二の「まち」をめざして――
一橋大生の就職活動――学生と企業の交差点――
ガイジンハウス・インタビューズ
ヤングハローワークの物語――若者たちと官僚組織が織り成す空間性――
昭和レトロブーム――「懐かしさ」が増殖する時代――
越境する人びと――(中国)朝鮮族の出稼ぎからみる民族の移動性――
「拉致」の行方――「救う会」運動のエスノグラフィー――
オボレル(文学と社会科学の試み)
ヒーリングという“癒し”の在り方
「現代」公害病――「杉並病」から見えてくるもの――

賑わいからの「百貨店」考――仕掛けの向こうに見える明日――

<2002年度>
ありふれた再開発を通して見る未来のまちづくり
世界都市TOKYOのゆくえ――池袋にできるエスニック・ネットワーク――
境界を越える旅――グローバル都市の「安全問題」:新宿・大久保を事例に――
死を覆った関東大震災――恐怖と意図せぬ所作の顛末――
愛知県民と移動――地元を「愛する」人々
子どものいる情景――豊かな遊び環境を求めて――
飾られた街に住まう――アーバン・リゾート舞浜――
闇と混沌の果てに――山本政志論―


<2001年度>
まなざしと快楽――フジ・ロック・フェスティバルにおける行為主体分析
ジョージ・オーウェル『1984年』から
住民運動史における与野市
想像の境界という拠りどころ――「世間」にみる現代日本人の意識
海が遠くなったまち――「日本の工場」川崎の記録
現代都市に息づく谷中――ノスタルジアを越えて
森田三郎と谷津干潟――いつまでも変わらない干潟へ想い
持続可能な「まち」への道――「自立」した住民を目指して
都心居住の未来――浮島に暮らす
「公園族」のアーバニズム――井の頭公園にみる古くて新しい公園の姿
ハイヒールの行方――選択される女性らしさ
都市の経験が都市をつくるとき――沖縄県北谷町の都市開発の事例から
民族,売ります(エスニック雑貨屋の研究)
ポストモダンの博多祇園山笠


<2000年度>
博覧会は中心市街地を救えるか――名古屋東部地域における郊外化の現状――
原風景にみる仲間意識の共有
『保育園』という場所――ワーキングマザーの声とともに――
音の社会学――サウンドスケープ思想の転回――
設計者選定序説――理想の公共建築デザインを求めて――


<1999年度>
「多摩」――行政と政治の断層面――
芸術のゆくえ 空隙に潜む創造性
もうひとつの『帝京』――帝京大学体育局サッカー部の挑戦――
近代衛生システムの創出過程――国家・地域・民衆のダイナミクス――
「下町」は生き残るのか――台東区に下町を観る――
移動電話の与える影響
未来都市への道標――環境共生住宅の理想と現実――
電脳空間に「心」をもとめて――インターネットコミュニケーションの可能性
旅行者とガイドブックの関係に見る観光旅行
まちづくりプランナーの役割と現状――「中間的領域」における立場の確立へ向けて